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vol.1 「伝説」はアップデートされる

01.伝説はアップデートされる

あんまり軽々しく「伝説の」なんて手垢のついた言葉は使いたくないと思ってしまうのだが、そうは言っても本当に「伝説の」舞台なんだから仕方がない。そもそも「伝説の」というたいそうな形容詞が許されるのはどんな条件なのか考えてみる。

【1】
けっこう昔(少なくとも20年以上前とか)に初演された。
【2】
作品が面白くてものすごく評判になった。
【3】
創っている人たちがすごかった。
【4】
出ている人たちがすごかった。
【5】
繰り返し上演されたけど最近ではパッタリお目にかかれなくなっている。
【6】
創った人や出ていた人たちがもはやこの世にいなかったりする。

と、仮定してみたとして、では『近松心中物語』はどうなのか。

【1】
1979年2・3月、帝国劇場にて初演された。
【2】
近松門左衛門の「心中もの」をもとに、2組のカップルが死へと突き進むシンプルな物語と、ド派手な演出効果が話題を呼び、開幕当初こそ客足は鈍かったものの、公演終盤で人気に火が点いて連日満員となった。
【3】
ゴールデンコンビとも称された〈作・秋元松代、演出・蜷川幸雄〉コンビの第1弾。骨太な秋元戯曲を蜷川が大胆に読み解き、舞台上に咲く彼岸花、心中シーンで舞う大量の紙吹雪、ここぞ!の場面で流れる森進一の主題歌など、視覚から聴覚まで刺激するキャッチーな演出で観客の心をわしづかみにした。
【4】
初演で主人公の忠兵衛と梅川を演じた平幹二朗と太地喜和子は、本作がそれぞれ自身の代表作に。その後も名だたる名優・名女優が本作に出演している。
【5】
全国各地で上演を繰り返し、2001年には上演1000回を記録。2004年には蜷川自身による新演出版が上演されたが、以後10数年上演されていない。
【6】
太地は48歳の若さで92年に事故死、作者の秋元は1000回公演を見届けた直後に没(01年)、80代にしてなお創作意欲を燃やし続けた蜷川と平は16年に相次いで没した。

ううむ、どこをどうとっても「伝説の」舞台としか言いようがないではないか。
しかも映像は残っていたとしても、観客の瞼にしか残らない舞台だからこそ、伝説はさらに歳月という「美化装置」にかけられ、強固なよろいをまとってしまう。
伝説は伝説のままに、人々の記憶に留めておくのが一番美しいのかもしれない。

ああ、なのに、それなのに。
物好きにもその「伝説」に挑戦しようという演出家が、いのうえひでのりだ。
しかも勝手に名乗りをあげたわけではなく、なんと蜷川自身が「いのうえの『近松』が観たい……」という“後継指名”をしていたのである。
蜷川といのうえは対談をしたこともあり、いのうえが演出する劇団☆新感線の舞台ももちろん蜷川は観ている。
大阪の小劇場からスタートし、今や大劇場での長期公演を連日超満員にする動員力を誇る屈指の人気劇団に成長、さらにはスクリーンで舞台を楽しめる「ゲキ×シネ」や、前代未聞の360°全方向舞台(IHIステージアラウンド東京)でロングランを続ける『髑髏城の七人』シリーズなど、世間を驚かせる話題性にも事欠かない。
蜷川はそんないのうえの、大胆かつ天衣無縫なダイナミズムと、好機を逃さないビジネスセンスに、『近松』を託すに値するエネルギーを感じ取っていたのだろう。
細かい演出技法や趣向はもちろん異なるにしても、なにより「魅せる」「観客を未知の世界へ連れ去る」ことにかけては、無比のふたりだ。

だからこそ、この「伝説」はアップデートされる意味がある。

しかも、いのうえがシス・カンパニーでこれまで演出した作品は、意外にも『怪談 牡丹燈籠』(09年)、『今ひとたびの修羅』(13年)と、「ザ・和物」と言える作品ばかり。いずれも男と女の愛と欲、情がからみ合う、今どき珍しいほどコッテリ濃厚な舞台を創りあげてきただけに、いのうえ版『近松』のインパクトにも期待は高まろうというもの。

新たな「伝説」が生まれる現場に、立ち会わない手はないのだ。


文:市川安紀

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